小沢和悦の震災レポ

「東北地方太平洋沖地震」

二十三㍍を超える大津波が三陸を襲った。こんなことがあるのか、としか思えない大震災が発生した。陸前高田市、南三陸町、女川町などでは、何と人口の半数以上の方々が死者・行方不明となっている。大崎市でも、住宅被害などもあり約一万人もの市民が避難所に入っている。町内会も共産党も、必死になって被災者救援に立ち上がった。

                小 沢 和 悦
二〇一一年三月一一日(金)午後二時四六分発生
「東北地方太平洋沖地震(M9.0)」

三月一一日(金)
1、 午後二:四六 栗原市役所前信号機停車中に地震発生!
グラグラという揺れは次第に大きくなり、ついには乗用車が横にひっくり返されるのではないか、という規模に。
NHKは「宮城県沖で地震が発生しました」「太平洋沿岸に津波警報が出されました。津波の高さは三〇㎝から三㍍・・・・・・」

2、栗原市築館からの帰り道。大きな余震がつづき、次第に国道四号が混み始めたので、荒谷から旧道に入った。町を通って驚いたのは、古い店である石堂商店など五~六軒が全壊状態だったこと。沢田地区に入ると石門が道路側に倒れて、重機で片付けていた。桜の目橋の上がり口には、段差ができ、小泉側の堤防上の市道は隆起がひどく通行禁止に。(※荒谷では全壊が二〇戸ほどとのことー三月二二日石堂女史からの情報)

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(写真左 諏訪西町内会自主防災本部・困りごと相談所開設(3月11~12日)
(写真右 諏訪西防災本部幹部会会議次第電気がなく、パソコンもコピーもできない状況でした)

3、私は、諏訪西町内会顧問であるとともに町内会自主防災組織の副本部長。そして、三七班ほどある内の第一斑助け合い・支えあいグループのリーダーであり、震度五以上の地震の際は、直ちに安否確認の行動に入ることになっているので、自宅を目指した。その途中で、安否確認を終え、町内会自主防災本部に報告に向かうわが第一斑のサブリーダー源太郎さん、設楽さん、羽鳥さんと出会って、全戸が大丈夫とのの報告を受けた。

4、町内会自主防災本部に着くと、各班からの報告が寄せられていた。報告のない班には、幹部が情報収集に出向いた。その結果、六百数十戸の町内会で、住宅被害に遭ったのは草刈さん宅一戸だけ。負傷者なし。全戸停電と断水。停電で人命に関わる酸素吸入器をつけている寝たきりの濁沼さんに対し、七時間以内に自家発電機で対応しないと命を失う、との情報があり、心当たりを当たったら、滑沢さんが工事現場用の発電機を持っていた。それを貸していただいた。併せて、一番安全な、病院への入院の可能性を検討した。北部循環病院、穂波クリニック、と当たり、最後は市民病院対応で入院となった。家族の方々には、町内会に助けていただいたと感謝された。
防災本部会議は、明朝八時から打ち合わせ会議を持つこと。飲み水と食糧確保に関する情報を得た上で、町内会集会所に、地震に関する「困りごと相談所」を開設したことを知らせる広報車を出すことにした。飲み水についての不安が多く寄せられたことから、私は、地震発生の夜、大崎市水道部に出向き、水道部に容器を持っていけばもらえるようにすることを要請、そのようにするとの回答を確認した。

5、自宅に帰ったら、家は真っ暗。防災用の懐中電灯などを探した。あった。しかし、電池が切れている。
そこへ、夜遅く、トナリの羽鳥さんがローソクを持ってきてくれた。そのあと、妻が保育園から帰ってきて、その日の出来事を話したくれた。地震の際は、押入れに子どもたちをぎっちり押し込むのが避難方法らしい。おっかなくて家に帰れない親子が大勢泊り込んだとのこと。保育園もたいへんだったようだ。

三月一二日(土)
1、八:〇〇 諏訪西町内会自主防災本部幹部会議
「困りごと相談所」看板を手書きで作り掲げた。
二名は、市対策本部に情報を得るため出向いた。

2、私と狩野弘代上古川区長は広報車で、食料を売ってくれるかどうか確認のため石名坂の宮城シマダヤ工場に。社長さんは、昨年の第一斑懇親会に来ていただいた方。「倉庫内の商品は、ひっくり返り、従業員の販売体制も取れない。小沢さんの車に積めるくらい持っていって活用してください」―社長さんのありがたい言葉に感謝し、後ろ座席の椅子を倒し、八百二十食分を積み込んだ。
その足で、アルファー米をつくっている新田の尾西食品工場に広報車で行った。ところが、在庫は大崎市の災害対策本部で全部持っていったとのこと。
そこから、約一時間半をかけ、町内会の上古川・諏訪西両行政区を、狩野区長のアナウンスで回った。
途中、水はどこにいけば貰えるか、食料を売っているところはどこか、などの問い合わせのため、若者たちが広報車に寄ってきた。みんな情報に飢えており、広報の大切さを痛感した。

3、三月一二日は、午後二時から、諏訪西町内会集会所で私の議会報告と内藤隆司県議候補を迎えての懇談会をすることで案内状を配っていたので、私一人で中止の連絡を宣伝カーで行った。

4、暗くなる前の打ち合わせで、市から指定されていたわが地区の避難所である黎明高校が、受け入れ拒否をしていること。市が話し合いをするといっているが、あてにできないので、避難の相談があれば、古川第一小学校か古中に避難することを呼びかけることにした。市の事前の怠慢がこの結果を生んでい
る。黎明高校では、一昨年、私が確認していた校長がやめ、新任の校長や職員であり、引継ぎもなかった模様なのだ。

5、諏訪改良住宅の三塚さん宅へ食料を持参した。灯油がなく、寝たきりの奥さんが寒がっていた。翌日、自宅のストーブの灯油を抜いて持参した。

6、その後、地区委員会事務所に出かけた。事務所が真っ暗なので誰もいないのか、と思ったら、玄関口から見たことのない青年男女が三人出てきた。“青年支部の新しい仲間かな?”と思ったが、中に入ってみると何と二十人位の人々が、ストーブを囲んでいるではないか!
見たことのない青年は、事務所トナリのアパート住人で、怖さと寒さに、階段のところに座りこんで震えていたとのこと。宮城県沖地震などの大きな地震を経験したことがなく、電化製品だけで暮らしている若者によって、共産党(の事務所)の存在はどう映ったのだろうか。


三月一三日(日)
1、朝八:〇〇から町内会自主防災本部幹部会議
黒板に、何々の協議が必要と思われるかを、私が書き込んだ。それをもとに協議。
二名は、市対策本部に防災本部立ち上げと広報を始めたことの報告と、情報収集に出かけた。

2、私と菅原勝防災本部事務局長は、トナリの諏訪中、諏訪東、千手寺の被災者には、家が壊され、困っている方もいるようだというので、自転車で見舞いや情報提供等に回ることになった。
佐々木電化さん、二瓶床屋さん、お花はんのところは住めないほどの被害。新田米屋さんも建て替えが必要なほどのいたみ。中村染物やさん、保科洋品店さん、畠茂商店も回った。被害状況を市に届け見てもらうこと。それが遅くなるときは写真を撮っておくこと。罹災証明・被災証明を市に申請すること。それがその後にどんなことに役立つかをお伝えした。
畠茂商店には、人口の半分以上が行方不明となっている南三陸町(旧志津川町・歌津町)から避難してきた婿殿の親類がいて、一五㍍の津波で、五階建ての志津川病院の五階まで海水が襲ってきた恐ろしい話を聴いた。

3、私は、市対策本部がどうなっているのか、視察に出向いた。私から見れば、どこで何を受付、誰が何をやっているかがわからない形だった。議会事務局長がいたので、住民に情報が伝わっていないし、住民の実態把握も、意識的にやられていないようなので、情報提供を求める議員全員協議会等を求めた。事務局長は、議場が壊れているし、市の本部がこの状況なので、ライフラインが回復してからにして欲しい、とのことだった。
私は、その足で古川第1小学校、古川中学校体育館、古川保健福祉プラザと、三箇所の避難所を回ってみた。古川中学校では、挨拶をさせられた。私の知り合いもたくさん避難していた。避難所の収容者数で一番多かったのは穂波地区にある古川第五小学校の九八七人、昼夜六人の市職員がついた。そのほかは、古川第四小学校七八〇人、第三小学校六〇〇人、第一小学校五五〇人、総合体育館五〇〇人など古川地区だけで七五〇〇人、大崎市全体では約一万人だった。

4、防災本部は、宮城シマダヤさんからいただいたうどんを、夕食の取れない住民に集会所でお食べいただくことにした。
そのことを知らせる広報車をまわした。アナウンスは優子さんだ。広報車が集会所に着いたら、来た、来た、来た。
集会所が狭いので行列ができた。四時から五時までとしたが、食べていった住民は一二七人。家で煮て食べると、うどんを持っていった人五〇人。
5、夕方の本部打ち合わせで、小泉地区が、車におにぎりを積み、必要な人に配っているとの情報が寄せられたことから、わが地区でも検討することにした。また、避難所として、市対策本部から救援物資が入るように避難所届けをすることにした。翌日の夕食用食料(おにぎり)三五〇人分要請を決めた。


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(写真左 シマダヤさんのあったかいうどんはうまい!)
(写真右 炊き出しにいっぱい来た!「町内会って助かるよね」)


6、諏訪西町内会防災本部からでて、党地区委員会事務所に寄ったら山形県庄内農民連からの救援物資が大量に届いていた。感謝に耐えない。地区委員会は、避難者が炊き出しに携わり救援活動を開始した。

三月十四日(月)
1、午前一〇:〇〇 諏訪西町内会自主防災本部幹部会
 独自には夕食が困難な住民に、広報しながら、現地でおにぎり・うどんのいずれかを提供することを決めた。上古川は狩野区長と菅原自主防事務局長と佐々木良司事務局次長がハンドマイクで、諏訪西は守屋区長と民生委員の久子さんに、広報車は私が運転。
 食事は大好評で、おにぎり二〇〇食分とうどんもほぼ同じくらい。それに、党事務所から搬送した二〇個ほどのおにぎりが提供された。えらい盛り上がりだ。

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(写真左 シマダやさん提供の暖かいうどんを食べに並ぶ住民(諏訪西町内会集会所))
(写真右 津波で兄弟を失った方も炊き出しに参加した被災者)

2、自主防災本部の夕方の打ち合わせで、明日は一〇〇〇食のアルファ米とうどんを市対策本部からもらって炊き出しをすることにした。また、小沢カーを「緊急用車両」として登録し、ガソリン二〇㍑を入れる券をもらってきてくれた。この日は、どういうわけか、前日から狩野区長さん宅の電気がついたからと、テレビを見に来て、と誘われた。テレビを見て驚く画面がいっぱいあった。津波の規模のすごさ、被害の甚大さだ。

3、こういう時は、デマに惑わされないことが大切と思うことがあった。家内が「岩出山、鳴子のスタンドはガソリンを売っていたわよ」という話を聴いて、仕 事が終わってから行ってきたというのだ。ところが開いていないので、ここまで来たのだからと、何と新庄市まで行って来たがなかったというのだ。そして、逆にガソリンがなくなってしまったというのである。「明日からは自転車か」とがっかりしていた。

三月一五日(火)
1、午前一〇:〇〇 諏訪西町内会自主防災本部幹部会
炊き出しに準備に入った。五〇食入りアルファ米のパック二〇ケースとうどん。広報車は私が運転、佐藤優子さんがアナウンサー。三時半頃から事務所には、たくさんの住民が来た。今回は、握ったおにぎりかうどんを手渡しする方法だ。四一〇食分がたちまちなくなった。
アルファ米がご飯になるのを待っている住民は、寒いので集会  所の中で待ってもらった。握り飯作りは女性二〇人くらい。一生懸命だ。

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(写真 炊き出しに頑張る町内会自主防災女性部)

2、家内が、私の自転車が重すぎるので、中古を買いに行った。ところが売り切れで待機に。みんな困って買いにきたのだ。

3、地震発生から、一回も風呂に入っていないので、菅原さん宅の風呂に入れてもらうことになった。
菅原さんとは上古川地区PTAの正副会長コンビで、わたしの議員活動を三〇年以上も支えていただいている。菅原さん宅に行ったら風呂だけでなくビールとご馳走まで用意してくれていた。
菅原さん宅には、奥さんの妹さんが避難しておられた。美里町志賀町の家が、ひどい被害を受けたそうで道路も大変の様子だ。

三月一六日(水)
1、一〇:〇〇 諏訪西町内会自主防災本部幹部会
この日も広報車を出した。夕食は、三七〇食分だ。この間、広報車には「町内会集会所はどこにあるの?」と聴く人も多く、町内会の存在がくっきりと印象付けられたようだ。

2、上古川の住民から、奥さんが人工透析を受けているが、送迎用自家用車のガソリンが少なくなったのでどうしたらいいか、の相談があった。市対策本部で、もし対応しないときは、消防本部に救急車の出動を頼んでいいかどうか確認するように進言した。
その後、県と宮城県石油商業協同組合の話し合いで、人工透析患者送迎車両へのガソリンを、市対策本部が発行する券でいれられるようになった。
消防本部は、ガソリンが入手できずに患者の命が危なくなるときは一一九番を、と答えたとのこと。

3、夜の本部会議では、電気が、一部を除いてついたことから、「困りごと相談所」の体制は一七日から一九日まで午前一〇時から一二時までと縮小して、住民の困りごとに対応することにした。
集会所で打ち合わせのあと、ビールでさっとご苦労さん会を行った。こういうときだから、側溝などに落ちてケガをしてはならないと数十分でお開きとなった。

4、この日は、我が家に電気はついていないので、上古川の佐藤さんが、私の家内をフロに招きたいとお誘いを浮け、お言葉に甘えてお邪魔することになった。ご夫婦と娘さんの二人が料理を振舞ってくれた。本当にありがたかった。

三月一七日(木)
1、朝、我が家に電気がついた。党の地区委員会事務所に行って情報交換をしたあと、諏訪西町内会集会所に寄った。たいしたこともなく、相談時間は過ぎた。
2、上古川の安海さんから電話があった。奥さんのお兄さんが石巻市渡波で、津波に襲われて、遺体が見つかったが、引取りに行く車のガソリンがなく、困っており、何とかならないだろうかとのこと。いろいろなところにお願いし、何とか対応していただくことになった。
夜、安海さんから電話で、死亡診断書と検案書が明日出されるのでそれまで遺体は渡せない、という仕組みの話があった。

3、うちの家内が、古川中学校体育館に避難していた鎌田さんと一緒に帰ってきた。地震以来、風呂に入れずにいた。鎌田さんは、昼は住宅の室の片付けかたをしながら2晩泊まって帰られたが、避難所の実態を聞かせていただくことができた。
○ 諏訪改良住宅では、殆どの住民が避難所に入った。
○ 毛布1枚で寒い。
○ 食事は、人数が多いからか朝は冷たいおにぎり1個、昼なし。夕食はコッペパン1個。
○ お年寄りが多いのに、トイレは洋式でなく、便座型仮設トイレは、階段を降りて外なので、これまたたいへんだった。
こんな状況で、多くの人が、血圧が上がった、といっていた。
寒さに震えている年老いた避難者に、古川中学校で養護教員をされ、3月で退職予定の近江千賀子さんが、ペットボトルにお湯を入れて配ってくれて、みんなに感謝されていたという話を聴き嬉しくなった。
また、避難所では、この地震で、穂波の郷はどうなっているか。だいぶひどかったらしい。それでも伊藤市長は、市民病院本院を穂波に移転するつもりだろうか。避難所に挨拶に来ないのは、市長が困っているからだろう、などの会話が交わされていたらしい。

[穂波地区の情報]一五日、太子食品がトーフの無料配布をしている!との情報があり、集会所にいた“丈夫な”女性三人を車に乗せていただきに行ってきた。夕食のおつゆに入れたら喜ばれるからだ。その帰り、相談して穂波地区の様子を見に行った。そこで見たのはー
○ 親水公園隣接の墓地のお墓がいっぱい倒れていた。揺れが大きかったのだ。
○ 新築の住宅地を見ると、電柱がズラッと斜めになっていた。液状化現象のためだ。
○ 道路、橋の付け根に段差が出ていた。
○ 市内最高の避難者が集まった第五小学校体育館周辺には車がいっぱい駐車していた。揺れが大きくて怖かったのだろうと思う。

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(写真 電柱が傾いている穂波地区新興住宅地)

4、諏訪の二瓶さんを見舞いに行ったら、避難所から一時戻
っていた。灯油を一、スタンドから買ってきたとのこと。
その際、電気がついたら、ガソリンを出すからとナンバー入りの給油券をもらってきたとのこと。
それでは、と私も行って、一四八番目の券をもらうことができた。
ところが、諏訪町の電気が遅れに遅れ、なかなか給油してもらえない日がつづいた。

三月1八日(金)
1、赤旗日曜版の配達をしながら市民病院等の調査に入った。何と、市民病院本院は、本館が傷んだので南病棟と救命センターに患者様を移したとのこと。医療連携室の話では、いま、転院先確保に入ろうという話であった。(※災害時の特例で一定期間は大丈夫とのこと)
病院事業管理者等の幹部の顔は見えなかった。消防本部では、それぞれが緊張した面持ちで仕事に励んでいた。消防本部総務課のお勤めの大久保さんから「妻の実家―小泉の伊藤家が地震で壊され、一家族で千手寺の我が家に避難しているから顔を見せてくれないか」とお聴きした。早速行ってみたら、なんとその避難先の大久保さんのお宅も地震でやられ、農業共済地震保険の目視査定の最中だった。

2、家内の自転車が出来上がってとりに行った。さらに、二〇人もが待機しているそうだ。

三月一九日(土)

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(写真左 食料を求めて列を作る市民(北町・Uマート))
(写真右 倒れた住宅で2次被害に危険がある小金町)

1、諏訪町に電気が通ったというので、中條弘さん宅からガソリン用携行管を借りて、鹿野商店前に並んだ。物凄い人が油を求めて集まってきた。
危険回避の為の点検に三時間もかかり、待つこと三時間半。ようやっと一六㍑のガソリンを入手した。これを計量器にかけ、三分の一をわが車に、あとの三分一づつを家内の車と、タンクを貸してくれた中條さんにお分けした。
中條さんからは
「助けられた。この恩は返すから」
と過分な感謝をされてしまった。

2、上古川の安海さんから、遺体を午前一一時頃車に載せて古川に向け出発するところだ、との連絡が入った。駅前の倉島祭苑に火葬の手続きを頼んだとのこと。午後二時頃倉島を訪ねた。
遺体の痛みがひどく四時以降でないと入室できないとのこと。
火葬は三月三〇日の一二時になったとの由。
大崎地域広域行政事務組合の大場副管理者に、そのことを伝えたところ、大崎市の対応が問題、と市役所に掛け合ってくるとのこと。その後、安海さんから火葬は二二日の三時からと変更になった事を知らせる電話が入った。

3、ガソリンを求める列が、スタンド周辺に多く見られ、事態の深刻さが伺われた。聴くところによると、「成文」はガソリンを出した場でトラブルが発生し、従業員が撲られる事件が起きたので、閉めたとの話もあった。

4、沢田の大久保さんから電話があった。自宅が壊れたというのだ。立派な瓦葺で六〇坪の家だ。罹災証明と写真のことなどの話をした。

5、小金町の佐藤晃さん宅に、向かいの家が倒れ掛かっている電柱もろとも倒れてきそうだ、という電話が、内藤地区委員長から入った。
現場に行ったら全壊家屋がいっぱい。工藤床屋さんの店も、倒れ掛かっている電柱につぶされかねない状況だ。佐藤さんの奥様と電力に早速行って、現場を見て大丈夫かどうかの確認をするよう求めた。電力から来た職員の説明では、それらの電柱は、液状化が起きたのか沈下しているが、すぐ倒れることはないとのこと。

三月二十日(日)
1、一八日と一九日付赤旗日刊紙の配達をした。考え事をしながら走っていたせいか、配達忘れで戻ったところもあった。故良弘さんの奥さんから「ガソリンがなくて困っているのだから新聞は持ってこなくていいよ」と声をかけられた。

2、古川西部コミュニティセンターの厨房の皿・コップなどが壊され、優子さんと和子さんが綺麗にまとめてくれていたので、斉藤純七会計、今村時子センター管理人さんと私の三人で整理をし、災害ごみ置き場の旧合同庁舎に捨てに行ってきた。

3、七日町の佐藤さんより電話。自宅裏の自分の借家に、隣の石蔵が倒れてきそうで危険なので、持ち主に話したら、地震だから止むを得ない、という口ぶりというのだ。蔵に張り紙があったかを聴いたら「危険」と赤紙が張ってあるとのこと。見てくれというのだが、見るより、市の対策本部に二次被害が出る危険があるので勧告を申し出たほうがいいとお伝えした。

4、若柳畑岡から息子一家が来た。水道が出ないのでフロに入りに来たのだ。
近くの「一麺」にみんなで行ってラーメンや餃子を食べた。しばらくぶりにキャッチボールや散歩につきあった。

三月二一日(月)
1、七日町の佐藤さんから前日電話で訴えられていた「崩れてきそうな石蔵」を見に出かけた。
確かに危ない。大きな石がすでに一個落ちていた。そこから黒羽セトモノ店さんなどを回った。

2、登山などでもお世話になっているササニシキの阿部さん親子が自転車を押して歩いているのに、市災害対策本部前の道路でばったり会った。娘さんが黒川病院に勤めているとのことで、病院からは来てくれといわれているが、ガソリンがなくて行けないとのこと。「なんとかして」と頼まれた。
夕方、明朝に仙台に野菜売りに、芳美君が行くというので、それに乗っていくか電話した。午後の五時までの出勤となっているので早すぎるという。、それではと「情報によれば星陵病院近くのスタンドで、明日、あけるとのこと。ウソかもしれないが」と教えてあげた。「並んでみるから」とのことだった。

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(写真 古川東中学校構造物の沈下)

三月二二日(火)
1、一〇:〇〇 共産党北部地区地震災害対策本部会議があった。地区内の栗原市の議員も来た。
「災害対策のシオリ」を作成し、配布をすること。住民の困っていること、要望を聞き、それに応える活動を強めること。もう一つの柱は、津波で被害が甚大な地域への支援活動だ。

2、鎌内議員より、古川東中が、先の議会では「沈下は収まった
」という答弁だったが、今朝、現地に行って見たら、一mも沈下していて、使えないほどの被害だ、という報告があった。
早速遊佐辰雄議員と現地に駆けつけた。校長先生は、先週の金曜日(一八日)東北大学工学部の前田匡樹准教授ら五人ほどが調査に来たが、揺れが大きいため杭が折れて沈下したのではないか、というようなことを言っていたとのこと。
それも確かと思うが、液状化で沈下が発生していることも明らかだった。
校長先生は、卒業生の進学関係の連絡もあるのに電気もつかず電話が使えないのが困っていると話していた。これは、鎌内議員から教育委員会に申し入れている。
四月からの新学期、古川東中は、生徒が増え五七〇人くらいになるが、教室をどこに確保するのか、差し迫った問題だと語っていた。学校は、遠くないところに新築せざるを得ないだろうとも話していた。この土地は、「宮城県地震地盤図」の「図―3 地震地盤解析基礎図」の中で、穂波地区とともに「腐植土層を主とする地盤」と青色着色で示され、初めから問題のある地盤だったのだ。
この「宮城県地震地盤図」は地質調査報告書には必ず添付しなければならないものである。

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(写真 古川東中学校の地盤沈下)

伊藤康志市長は、穂波地区への市民病院本院移転を進めているが、今回の古川東中の現象は、穂波地区でも同じことが起こる可能性があることを示している、と私は思うし、穂波地区への移転はストップすべきと確信している。

3、午後三時、古川斎場に、安海夫人の津波でなくなられた石巻市渡波の兄さんの火葬に出かけ
た。
家族・親戚等は、津波で家ごと失ったのだろうか喪服でなく普段着だ。和尚さんもいない。安海夫人のご兄弟や子どもさんと挨拶を交わし、お悔やみを申し上げた。石巻市でディサービス「はまかぜの家」管理者をしているという内海さんは、住む家も流され、職場に泊まり込んでいる。市内で残った店はガラスを割られ、商品が勝手に持ち出され、食料も手に入らない
市の対策本部にもいけないし、連絡も取れない。オムツをしている施設にいる方々のオムツも手に入らないというのだ。私は、石巻市などの現地救援本部に、移転した東部地区委員会がなることから、党事務所の内藤さんに電話し、連絡方法(三浦一敏市議団長の携帯電話)を聞き内海さんにお伝えした。

4、斎場から出て、着替えをし、田尻地区北小松の大友さん宅に向かった。大友さんから、田尻の住宅被害は町場が多いこと、自分の意見として、被災地で米が作れないところがでているのだから減反面積の見直し、市民病院本院の穂波移転の見直し・中止、三セク温泉の重油利用を中止し、必要な民生用に回すことの三点が述べられた。田尻全域で断水になっている対策として、旧田尻町時代に大崎広域水道から受水する前使っていた大嶺三区のボーリングが使えないか、との意見が出されたので、市水道部長に電話した。その後、調査したが、すでに使えなくなり、管との接続もないことから使えないと連絡があった。
5、次に、荒谷の石堂さん宅を見舞った。市議は誰も来ていないそうだが、被害は大きく、全壊状態の家は二十戸もあるとのこと。また、東北電力に勤める方さんからー女川原発は、あの時、社員で必死に守った。住民が避難してきたが、社員は廊下に寝て住民を部屋に寝せた―という話もあったそうだ。一人暮らしだが、友人に支えられてこの通りケガもせず生きている、と石堂さんは涙を流しながらも、にこやかな顔をしていた。

三月二三日(水)
1、午前一〇時半から、党の被災者救援・いっせい地方選勝利をめざす全国決起集会の支位委員長報告をTVで視聴した。立党の精神の立場で、全国の党員が、未結集だった人を含め立ち上がっていること、被災者救援に全力を挙げること、それに必要な予算は、歳出の見直しと二兆円の大企業・大資産家減税の中止で生み出すこと、地方選挙は、住民の気分、感情にあわせ訴えるべきことを訴え、戦うことなどが語られた。

2、TVを視聴している最中に、諏訪西で唯一、住宅被害を受けた草刈さんから電話があった。第一小学校に避難し、古川中学校に移され、今度は、一方的に、遠い武道館に移れというのだ。それも新聞を見てそれを知った。というのだ。その新聞には、大崎は落ちついたから沿岸部から一〇〇〇人位の被災者を受け入れるという伊藤市長の記事も載っているからなおさら腹が立って、市の対策本部に行って抗議をしてきたとのこと。車のガソリンはないし、障害を持つ母は、半壊状態の危険な家だが家に帰る、といっているというのだ。私は、市の対策本部に行き、モノではなく人間なのに、モノのように扱う問題を厳しく指摘した。そして、事情によっては別な場所への移動も講ずるべきと申し入れた。担当の佐々木市民協働部長は「保健士に、そのような方の事情を聞いてもらい、対応するようにする」との回答だった。そのことを草刈さんに伝えに行ったが、気が治まらない様子で、涙を流し、市の対応を怒っていた。
また古川第一小学校体育館避難所では、ポータブルトイレが六~八個用意されたが、仕切りがなかったとのこと。机を境に置き、それにすがって立ち上がりやすいように、と注文しなおさせたそうだ。避難所に伊藤市長は来なかったと言い、顔を出した議員は私だけだったとのこと。

3、市対策本部で聞いた情報―我妻総務部理事は、罹災証明申請が二一、二二の二日間で六六一件あったこと、本部受付は三月いっぱいで、あとは税務課で受付けるとのこと。
矢内教育長に、古川東中の壊れ状況と今後の対応を聞いたら、本部会議だから後で、と言ってその場を去った。

4、古川第五小学校の被害状況を視察した。物凄い揺れだったとのことだが、あちこちに陥没というか地盤沈下の傷跡が見られた。液状化現象が発生したのではないか、という形跡も見られた。
「これで、四月から、授業ができるのですか?」と聞いたら教頭先生は、教育委員会が決めることですから、とのことだった。
私の見た感じでは、本体の傾きはないものの、外回りは、東中学校に近い状況に思えた。
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(写真 古川第5小学校(穂波地区))


5、東大崎の亀谷さん宅が壊れ、寒い家で困っているという電話が内藤地区委員長からあった。
 電話したら、地震で、家が壊され、玄関と茶の間に出入りする戸も動かなくなり、勝手(台所)で過ごしている、というのだ。直す金もないし、住宅に入る以外ないという話もあったので、罹災証明の申請、避難住宅申し込みの話をした。それでは、行ってくるとの答があった。
その後、夫婦で行ってきたと報告があった。しかし、罹災証明の申請だけで住宅の申し込みはしないで来た、とのことだった。「年を取っているから、あれもこれもはできないの。ふたりで一人前にもならないのよね」(奥さんの話)
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(写真 古川第5小学校(穂波地区))

三月二十四日(木)
1、大工をしている清滝の渋谷さんが、仕事の注文が出たのに、ガソリンがなくて困っていた、との話を松浦夫人から聞いたので電話した。奥方の由美さんが出た。松浦さんから電話があって、困ったことないかと聞かれたので、ガソリンがなく買い物にも行けないと言ったら、ご婦人方三人で食料を届けてくれたとのこと。ガソリンが石油商業協同組合の方針で、週末に一斉に開けるという情報もあることを話したら、安心したようなので「事実かどうか分からないが、そういう情報があることを市の対策本部で聞いてきた」と、いざのとき、嘘つきと言われないように申し添えた。

2、朝、八時半頃、「小熊さんからの紹介ですが」と大宮の我妻さんという女性から電話があった。
内容は、貸してくれる自転車があるそうなので貸して欲しい、ということ。いいですよ、とこたえたら、そのうち、
小熊さんと一緒に来られた。ロックタウンに、普段は車でかよっているのだが、ガソリンが入らないので、自転車が
必要になったとのこと。

3、昨日電話のあった東大崎・亀谷さん宅を見てきた。
玄関両側の柱の根っこが崩れていた。
瓦屋根で頭が重いのかサッシ戸や部屋のなかの戸、トイレ、風呂場にクラックが入っていた。
昨日、罹災証明の申請に行って来たが写真は撮っていないというので、デジカメで撮ってきた。
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(写真 亀谷さん宅玄関)

三月二五日(金)
1、午前九時半から大崎地域広域行政事務組合の議員全員協議会と議会本会議があった。
被害状況の報告があった。構成1市4町で、死者十五名、行方不明者三十名。住宅被害は、全壊二百四十二戸、半壊三百四十六戸、一部損壊千六百九十一戸、合計二千二百七十九戸。被災家屋は古川が千六十六戸、美里町が八百三十三戸で美里は全壊六十六戸、半壊百九十八戸と被害が甚大だ。
私は、ガソリンが手に入らず、病院に行けないため、命が危ない住民に対し、一一九番電話があった場合、対応すべきとおもうがどうか。もう一点は、救急車両が燃料がないため動けなくなるようなことのないよう万全を期しているかを質した。
消防長らは、すでに五日前にファックスで、質問通告を送っていたので、「事情を聴き、命に関わるときに搬送の手段がないという場合、救急車を出しているし今後も全力を挙げて対応する」とこたえた。救急車の通常一日平均出動回数は二十二回。それが現在は、五十~七十回出動しているとのこと。そのことを構成一市四町の災害対策本部を通して対象となる住民に周知するか、を質したところ「そのようにする」と答弁があった。
組合議会では、放射能汚染のことも問題になった。県から送ってくる資料には大崎の数値は出ていないが広域行政事務組合の測定では0.二~0.三マイクロシーベルと、ほぼ仙台なみで人体に影響はないとのこと。しかし、マスコミ記事を見るとこれは、山形・秋田等の裏日本と比べると十倍だ。
宮城県町村会会長として、被害の大きい沿岸部の市町村を回り、被災者受け入れ態勢をとることなど激励に回ったという報道があった美里町の佐々木功悦町長に、敬意を表する挨拶をしたこともあってか、議会の合間に私の机の前に来て佐々木町長は、“福田議員から、北部地区がつくった「被災者のための手引き」を参考にさせていただきます”と話していった。

2、赤旗日曜版と「被災者のための制度活用の手引き」を持って水道部に行って、放射能汚染の観測をしているかを聴いたところ「昨日、東京都が、都内の浄水場の放射能汚染基準が、子どもに飲ませてはならない基準になっていると発表したことから、市水道部に“大丈夫か。測定はしているのか?”という問い合わせが殺到したので、急遽、県に、その旨を伝え、県として対応するのかを聴いたところ、県は何もしないという返事だったとの由。
それで、水を採取し、測定する機関に送ったそうだ。
大崎広域行政事務組合の測定結果を話したところ「公式発表ではないが、大事なデータだ」と感謝し、今後、大気中の放射能測定結果の問い合わせもしたいというので大崎消防本部の問い合わせ電話番号をお教えした。
それにしても宮城県当局の対応はどうなっているんだ!と怒りたくなる。

3、日本共産党中央委員会は、十九日、高橋ちづこ衆議院議員が県庁を訪れ、全国から寄せたれている義援金のうち、1千万円を宮城県に贈った。
大崎市に事務所を持つ北部地区委員会と大崎市議会議員団は、地震発生のその日から、直ちに地震被害の実態調査と被災者救援活動を展開してきた。
事務所では、最初、県議選のため寄せられていた食料で炊き出しを始めた。山形県から米、野菜などが届けられてからは、事務所に避難していた市民も懸命に炊き出しに参加し、昼食が取れない避難所や障がい者施設などに送り届けてきた。
避難所のスタッフからは、朝おにぎり一個、夕食もパン一個で空腹がひどく、届けられたおにぎりは、ホントにありがたかったーという声が寄せられている。みんなで四つに分けて食べたおにぎりは格別の味だったーという声もあった。
諏訪町の佐々木さんという女性から、市のある部門にボランティアとして働きたい、と申し込んだら、共産党の事務所中心に一生懸命ボランティアをやっているので、と紹介されたという電話が入った。

 私たちは、いま、歴史上かって経験したことのないような地震・津波災害、そして原発事故という事態に遭遇している。
自分たちの地域の住民の抱えているさまざまな苦難に応えることとともに、筆舌に尽くせない甚大な人的被害、住宅被害などを出した沿岸部住民への救援に全力を挙げなければならない。
 併せて、いっせい地方選挙が始まっている。
当地方の県議選は若干遅れるが、この大災害のとき、米軍への思いやり予算や大企業・大資産家への2兆円減税などを止めさせる予算組み換えが必要である。
共産党の議席増等躍進が、その実現を切り開くポイントだ。
県政においても、セントラル自動車に五百億円も援助し、正社員採用がたったの十七人なのに、操業開始を喜んでいたり、県自身が、危ないから気をつけろといっている場所に、伊藤市長が市民病院本院を建てることを全面的に応援するという間違いは、我々市民が大地震を体験しただけに正されなければならない。
 被災者救援と政治を変える戦いを、住民とともに、何としても進めたいと思う。
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助けてください

お疲れ様です。
被害が少ないとは言え、大崎市もかなりのダメージでした。
家に戻れても今までになく不自由な毎日です。
復旧復興へ手探りながらがんばりましょう。
古川東中の件、昨年、中総体で外観を見ただけで
昇降口が隆起陥没、
校庭側の水飲み場が異常に斜めになっている等、
体育館はありえない程すり鉢状になっており
教育環境は最悪だと見ておりました。
そしてこの震災。
仮設校舎を作るために生徒を一時バラバラにする様な
話しぶり、行政は震災で傷ついた生徒に
追い打ちをかけるのですね。
場所が無い、仕方がないの繰り返しです。
本気で探せば場所はいくらでもあります。
力を尽くせば新学期に間に合わせられるはずです。
昨年工事をするはずだった体育館工事を遅らせた事も含め
今まで見て見ぬふりをして傾いた学校を
ここに来てまで行政に言い含められるのは嫌です。
是非バラバラにならずに新学期を始められるように
お力をお貸しください。


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